平成9年度−平成10年度科学研究費補助金(国際学術研究(学術調査)研究成果報告書より(1999年3月)
マダガスカルにおける伝承薬調査報告書
研究分担者:森山 工
(もりやま・たくみ) 広島市立大学国際学部助教授・文化人類学
これまで本報告者は、マダガスカル中央高地北東部の、アラウチャ
(Alaotra)湖という大湖を中心として広がる盆地地帯の社会組織を、文化人類学の手法によって調査研究してきた。この地域は「シハナカ(Sihanaka)」と呼ばれる民族が主として居住し、そのため「シハナカの地(Antsihanaka)」としてマダガスカル国内に知られてきた地域である。その一方で、ここはまた呪術がとりわけ盛んな地としても知られており、しばしば他地域の人々はここへ足を踏み入れるのを恐れるほどである。これは、1960年代から70年代にかけて、この地域で「アンバラヴェルナ(Ambalavelona)」という名の呪術が一大流行を見たことによっている(J. T. Hardyman, "Observations sur la sorcellerie 'Ambalavelona' dans la région de l'Antsihanaka", Bulletin de l'Académie Malgache, n. s., 52/1-2, 1974, pp. 57-64)。1960年代から70年代にかけてというのであるから、シハナカの地が呪術と結びついてマダガスカル国内にその名を馳せたのは比較的最近のことであると言えるが、しかしながら呪術自体はそれ以前から連綿と行なわれてきたものであり、またこの地域以外でも国内で広く行なわれているものなのである。たとえば、
19世紀の末にシハナカの地でキリスト教の布教活動に従事していたイギリスのプロテスタント系伝道協会(London Missionary Society)の宣教師の報告には、老衰による死を唯一の例外として、シハナカの人々は何らかの自然因によって病や死が惹起されるという観念をいささかも有してはおらず、病も死もつねに呪術に起因すると考えている、とある(J. G. Mackay, "Some Notes on Native Medicine and Medical Customs, as practised by the Sihanaka", Antananarivo Annual, no. 17, 1893, pp. 45-54)。シハナカの地における本報告者の調査経験からすると、現在では近代医学による診断・治療が導入され、ある程度浸透しつつある結果として、自然因によるとされる病や死の範囲は1世紀前と比べてはるかに広がっているとは言えるが、近親者の病や死に当たって呪術の介入を疑うことは現在においてもごく普通のことであり、そのため病人は町の病院で医師の診察を受けるとともに、憑霊や卜占によって見立てをなす呪医にも依然として頻繁に伺いを立てているのである。この呪術に関しては次のことを指摘しておきたい。シハナカの地のみならず、マダガスカルで一般的に言えることであるが、呪術を意味する語彙
(mosavy)は、いわゆる超自然的な何らかの力を媒介とした犠牲者への働きかけを指すのみならず、その実効性が経験に照らして明確である毒物によって犠牲者の健康に直接介入する行ないをも指している。したがって、飲食物、とりわけ自宅以外の場所で採られた飲食物は、呪術の関与が穿鑿される際に真っ先に疑いを向けられる対象であり、また呪術の攻撃を恐れる者にとっては何をおいても注意を払わなければならないものなのである。やはり19世紀末のプロテスタント宣教師の報告には、シハナカの人々は病の原因を呪術に求めるか、もしくは病人を知る者のうち邪悪な意図を抱いた何者かが供した食事を病人が食したことに求めるのがつねである、との記述がある(J. Pearse, "Customs connected with Death and Burial among the Sihanaka", Antananarivo Annual, no. 6, 1882, pp. 145-155)。したがって、呪術を仕掛けるに当たっては毒物についての知識が前提とされる場合があるし、それは逆に仕掛けられた呪術に対抗するために必要とされる場合もあるのである。このような知識のなかには経験的に一般にも広く知られたものもあるが、呪医をはじめとする専門的な職能者が秘儀的に保持しているものが多い。したがって、呪術を仕掛けようとする側も、仕掛けられた呪術に対抗しようとする側も、その処方を求めて呪医に見立てを求めるのが普通である。そこで処方された薬をもって、それぞれのことに当たるわけである。シハナカに関して言うならば、呪医のもとで処方される薬は植物起源のものがほとんどであるように思われる。蜘蛛を生きたまま火で炙り殺し、その灰を水に溶いて飲ませるなどといった例もあるが、本報告者の見聞した例では植物の葉や根、樹皮や幹の削り屑など、植物に由来するものの使用がほとんどであった。先に言及した
19世紀末の宣教師の報告(J. G. Mackay, op. cit.)にも、シハナカの地で用いられる内服薬は、植物の葉や根から取られたものであるとの記述がある。この報告によると、多くの場合、植物の葉や根は煮出されることによって煎じ薬として服用され、また、これらを清水に浸すことによって得られる冷たい浸出液も服用されるという。植物を煎じて飲むことは、現在においてもマダガスカルの民間療法のもっとも一般的な形態である。同じ報告では、これらの内服薬とあわせて、マッサージや、罨法もしくは温罨法(砂、籾殻、米などを布切れで包んで用いる)が施されることが多いともされている。この報告のなかで注目されるのは、毒物とそれを用いるに当たっての知識に関する記述である。それによると、シハナカの呪医は下剤の扱いに秀でており、病人がどのような状態にあろうとも、治病に取りかかる前には病人に下剤を与えることがつねに必要であると考えている。しかしながら、呪医の側が、みずからの扱うこうした強い作用のある薬について、その毒性の詳細や処方してしかるべき適正量を知らずにいるため、少なからぬ数の人々が処方された下剤によって死亡しているのではないかと疑う余地がある、というのである。また、このことに関連して、水銀の甘汞やペルクロロ化物(calomel and perchloride of mercury)が市場で売られているが、これがシハナカの地においてさえも多数の死者を招いているのではないかと考えられる、ともされている。このように、この報告においては、一般においてのみならず専門的職能者たる呪医においても、毒物とその扱いに関する知識が不完全かつ不正確であることが強調されている。ただし、きわめて強い毒性を持つということがすべての呪医によく知られた植物もあるとされており、これらには薬の扱いにぬきんでて長じたごく一部の呪医しかあえて触ろうとはしないと報告されている。19世紀末のこれら宣教師たちの報告に一貫して示されているのは、シハナカの人々が薬物とその作用に関するいわゆる科学的な知識を有していないということである。たとえば、先の報告には、植物の根を薬用にする際、呪医は東および北に走った根のみを用い、西もしくは南に走った根はタブー視してこれを用いない旨の記述がある(J. G. Mackay, op. cit.)。本報告者の見るところ、これは、一日における太陽の運行からして、陽が昇る方角である東、および陽が立つ方角である北(マダガスカルは南半球に位置している)が聖なる方角との位置づけを与えられており、また、西もしくは南が悪しきものの去り行く方角であると意味づけられていることによっていると思われる。また、別の宣教師は、中央高地中心部のメリナ(Merina)系の行商人が、抗マラリア薬や鎮痛剤などといったヨーロッパ製の薬物をシハナカの地に販売に赴く際、本来ありもしないタブーをそれらの薬に対して捏造し、付加している事実を報告している(K. P. Mackay, The Food and Fady of the Sihanaka. Antananarivo Annual 15, 1891, pp. 301-304)。呪医に処方される薬は、その服用期間中、豚肉を食することの忌避や、特定の曜日に水浴びをすることの忌避などが付随しているのが通常であるため、シハナカの人々はこうした禁忌の付随していない薬物に対してはきわめて懐疑的となり、購買意欲をそそられることがないから、というのがその理由であるという。このようにこれらの報告では、呪医が処方する薬には経験的に確証された実効性に根ざしたものがあるものの、科学的な知識に関する「無知」のために、その効力が正確に把握されておらず、あまつさえ「迷信」に彩られた「非合理的な」観念界に取り込まれている次第が強調されているわけである。
本報告者の関心は、
1世紀前の状況との比較を視野に入れつつ、現在のシハナカにおいてこのような民間伝承薬がどのように把握され、また活用されているのか、そして民間伝承薬にまつわる知識がどのような範囲の人々に分布しているのかを、その使用の場面の実態に則する形で探究することにあった。しかしながら、研究計画の都合上、アラウチャ湖周辺への調査行は、マダガスカル中南部および南部へのそれへと変更されたため、この問題意識に則った調査研究は現実には実施することができなかった。しかし、きわめて断片的な情報収集ではあるが、薬草に関してはいくつかの情報を得ている。マダガスカルの首都、アンタナナリヴ
(Antananarivo)では、現地名sampivato、talapetraka、viliatsahonaといった植物、さらにはある種のサボテンの根に、抗癌作用があると語る現地の人からの聞き取りを得た。これらはいずれも民間療法において使用されてきた植物であり、とりわけviliatsahonaは広く抗マラリア剤として使用されてきたものである。また、マダガスカル中南部の都市、フィアナランツア(Fianarantsoa)の周辺での調査では、現地の人々より次のような植物を薬用にする例を聞き取っている。現地語名vahivorakaの葉:これを煎じて飲むことにはダイエット効果がある。おじぎ草:梅毒に対する薬として使用する。現地語名kanda:精力剤として、また性病に対する薬として、さらには妊婦に処方して堕胎作用をもたらす薬として使用する。現地語名hazomafaitra:鎮咳剤として、あるいは抗マラリア薬として用いる。また、毒性のある植物についての現地の人の知識にも断片的ながら触れることができ、たとえばある種の植物を家屋内でのネズミよけとして用いるといった情報も得た。さらには、昆虫を用いた治療の例も聞き取ることができ、ある種のハチに患部を刺させることでリューマチの治療を行なうと言われる。マダガスカル南部のバラ(Bara)と呼ばれる民族には、このような昆虫を用いた治療術にたけた者がいるとも言われるが、それについては調査を行なうことができなかった。改めて述べると、これらはすべて断片的な情報でしかなく、体系だったものとは言い難い。しかしながらそれは、調査行が短期間のものであったうえ、調査行の大部分が植物の採集に費やされた結果である。とりわけ、呪医が有する薬物の知識については、呪医そのものと接触する時間的な余裕がなかったため、調査の手をまったく伸ばすことができなかった。したがって、
1世紀前の状況との比較も不可能である。上記に引いたのは、多少なりとも一般的に分有された民間薬に関する知識であるが、呪医をはじめとしてより専門的な知識を有する人々からの聞き取りが今後は必要となるはずである。ただし、この点に関しては、マダガスカル南西部の港市、トゥリアーラ
(Toliara)[旧名称チュレアール(Tuléar)]の生薬市場での調査があるヒントを与えてくれている。トゥリアーラの市場には生薬売り数軒が軒を重ねる一郭があるが、その店主たちは詳細な薬草の知識を持っていることが窺われた。たとえば、現地名karimbolaは、煎じて飲むことで、滋養強壮、食欲増進等の効用があり、現地名vahatamalao(乾燥ヴァニラ)は強壮剤、精力剤としての効用がある。また、現地名katrafayは筋肉痛に効果がある、など。この最後のものは、現地の蒸留酒づくりの過程で、アルコールの度数を高め、その味をよくするために用いられることがあるものである。薬草の採集地も決まっており、トゥリアーラの北でモザンビーク海峡に注ぎ込むフィヘレナナ(Fiherenana)川を上流にさかのぼった台地で主に採集するとのことであった。これらの人々の民間薬に関する知識が何に由来しているのかについてはより踏み込んだ調査が必要ではあるが、民間薬の知識を広範に持つこれらの人々が、呪医と並んで、一般の人々が民間治療に臨む際の情報源となっていることは疑いを入れない。また、同じくトゥリアーラのある薬局では、マダガスカル応用科学研究所(I.M.R.A.: Institut Malgache des Recherches Appliquées)の研究成果の裏付けを得て、従来からの民間薬の処方を積極的に取り入れており、「科学的」な根拠にもとづいた民間薬使用の試みが始まりつつある。1世紀前と比較すれば、この意味で、一般の人々の治病に対する選択の幅は確実に広がりつつあると言うことができる。このように、諸々の制約によって伝承薬調査としては体系だった調査を行なうことが不可能であり、断片的な成果をしか得ることができなかった。しかしながら、本報告書の前半に述べた問題設定は、マダガスカルにおける「伝統」と「近代」の相互作用を考察するうえでもきわめて意義深いテーマであると考えられる。調査研究の不十分な点は、今後に引き継ぐべき課題としたい。