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行程図(1)

マダガスカル行動記録(その1)

1997年12月22日(月) 晴  広島−香港−モーリシャス

1440広島空港Dragon航空にて香港に出発。1800香港着。帰りのドラゴンは、再確認した。この空港で5時間は長い。毛里求斯行を待つ。10時近くに東京発の動物班篠永・安原氏が合流。2315 Air Mauritiusに乗った。放送はフランス語と英語。メニューは各国語が書いてある。空席がないくらい混んでいた。飯は2回出た。

1997年12月23日(火) 晴後雨 モーリシャス−アンタナナリブ

暗いうちにMauritius着。手続きに時間が掛かり、夜が明ける。日本人の他のグループと一緒になる。ホテルの送迎のバンでLa Croix du Sudに向かう。ペンション風の洒落た小屋のホテルで、個室に泊まった。少し、仮眠をして、朝食と周りの海辺を探索。モクマオウクサトベラClerodendron,等。真紅の小鳥・ベニノジコ (Fody) や、頭に尖がりがあって、頬の赤い、見慣れない鳥 (Pycronotus sp.)が近くに来る。篠永先生と周りを散策して、ウミアメンボや、アカバナ科などの写真を撮る。プールの側で休憩をしていたら、ココナツの葉が一枚落ちた。下に人がいたら大事だった。海岸で、ダイシャクシギを見た。その他に、ムラサキウニ、アカツメガニ、ゴイサギの近縁種も見た。
4時頃出て、モーリシャス・マダガスカル相互乗り入れの便で、アンタナナリブに飛んで、中嶋先生や、エミリエンヌの家族やラコトバオ先生の出迎えを受ける。送迎バスが2台来て一時、混乱をした。途中から雷雨となった。パノラマホテルには9時近くに着いた。

1997年12月24日(水) 晴れにわか雨 アンタナナリブ

朝6時半に、別行動を取るDaly教授とPiere博士を送った。領収書で、ひと揉めした。9時半に来るという現地の共同研究者マルタ教授が10時に来て、調印式の算段をした。11時半にレンタ・カーで町中に向かう。の傍の地図屋は休み。Hiltonホテルの本屋で参考書を買おうと思ったら、金が足りなくなり、銀行を探してもクリスマスで閉まっていて、動きが取れなくなった。町中の中華料理屋で美味い飯を食って、チンバザサ動植物公園に行って、エミリエンヌの知っているAlbert園長に会って、共同研究の話しをした。園内で、沢山のLemurといくつかの植物をみた。Salvia coccineaが雑草として沢山生えていた。Jacaranda mimosaefoliaは、Bignoniaceaeの癖に、その名の通り、合歓のような葉を付けていた。帰って、ホテルで500ドルを換金して250万フランにして、地図を買いに行った。帰って、ホテルの側で、ゴケグモの写真を撮りに行った。猛毒で、致死量の毒を持っているのだそうだ。クリスマスの特別料理を食べて、早めに解散。

1997年12月25日(木) 雨のち晴 アンタナリブ−ペリネ(アンダシベ)

630に出発して、Moramangaに向った。朝はかなりの雨降りだったが、途中から上がった。
運転手が英語が通じなかったので、片言のフランス語。8時30分にMoramanga着。バナナを買って食いながら行く。道々に炭の俵が置いてある。
山には炭焼きの煙も見える。晴着で着飾った家族が教会に向かう。9時15分に142 km走って、Perinet (Andasibe)の自然保護区入り口のガイドの溜まり場に行って、中嶋さんたちが以前から知っている名ガイドのMauriceに会って案内を頼む。Perinetではなくて、その近くにある「保護区」になっていないMoramizahaに行って、山道を歩いた
Melastma(ノボタン)色々な種がある。Ageratum conoides,一番普通の雑草、Lantana camara, これも、pan−tropicalである。Rubus sp.,若芽は甘いと言われたが、甘くなかった。Macaranga (Rubiaceae), 写真撮る。マラリアに使われる。科が科だけに、気になる。
Soldina (Rub)これも同様。Europhilla sp.同様。Parisandra,Sardinia sp. (Rubiaceae)採集。さかんに INDRIの鳴き声が聞こえ、遂に近く出見ることが出来た。Balsaminaceae変わった花 (写真),Medinella sp (味は渋い),有毒植物のBelavenova sp (Conoraceae)があるそうだが、本日は取れなかった。クリスマスなので、現地の子供たちも着飾っていた。
明日の車の手配をする。行く先はMinistere de l'Enseignement Superieur (高等教育省−文部省高等教育課?)今夜もクリスマス特別料理。

1997年12月26日(金)曇りにわか雨 アンタナナリブ

10時に行動を開始し、高等教育省で調印式に臨む。調印式はやたらにサインを要求された。文部大臣と、科技庁長官などと社交。全部で10枚以上サインした。その後で、日本料理の饗で関係者のParty。その後で、Marta教授の家のParty.広い庭の裕福な家で美味しい料理をご馳走になった。途中で、予想通り、夕立に遭った。この地方の雨季の経験である。前の日本駐在のマダガスカル大使夫妻も来ていた。Rakotovao教授も来ていて、次に来る学生のことを頼まれた。大使館の職員の藤井さんに聞いたところ、その学生は日本側(私)のacceptanceが早く来たというだけの理由で、選ばれた2人の中に入っており、後は、日本の文部省の回答待ちだそうだ。
その後で日本大使館の渡辺大使の公邸に招かれた。背が高くて男前の大使と夫人が主催した会食は、正に雲の上の雰囲気で、よい経験をした。

1997年12月27日(土) 晴 アンタナナリブ−(空路)−チュレアール−イサロ

ホテルの支払に猛烈に手間取る。何度も計算をし直して、1時間以上も掛かった。10時50分くらいにホテルを出て、11時にマルタ家に寄って、空港に。エミリは別行動。1255分離陸、1420頃Tureal着。1445発。飯の場所で揉めて、長時間待たされて、終わって出発したのが1650.1730頃バッタが出て、車にぶつかる。一本道を時速100キロ以上で飛ばした。バオバブがいくつかあった。20時頃にLe Relais de La Reineに着いた。個室が散在するモーリシャスと似たような作りの高級ホテルで、フランス人がやたらに多い。岩山の夕焼けが美しかった。

1997年12月28日(日) 晴 イサロ

朝、5時半に出て、ホテルの近くでサソリを探す。近所の庭師(この近くに住んでいて、自作のマンドリンで、観光客を歓迎して、チップと庭師の給料で生計を立てている連中)と一緒に行ったが、2匹しか取れなかった。植物は、同行した植物学者Maboさんがなかなかよくやってくれる。大谷和弘とエミリエンヌはガイドの交渉に近くの町まで行った。丁度同じ頃引き上げて、朝食。前菜に出た果物が新鮮で美味しかった。8時半に出て、Isalo国立公園の中に行く。其処から、2人のガイドと2隊に別れて行動。動物隊は蠍、植物隊はMaboさんと現地ガイドのVolの先導で、有毒でendemicを中心に集めた。炎天下だったので、かなりの労働であった。Tsingyという 岩山(Rock mountain)のほとりを歩くこと数時間で泉に到着した。文字通りのオアシスである。採集した植物のリストは別記する。マンゴーの樹の駐車場に14時45分着15時くらいにホテルの車が迎えに来た。先ほどの庭師が大勢でやって来て、近くで採ったというサソリをバケツ一杯持ってきて、交渉の末、引き取った。

1997年12月29日(月) 晴 イサロ−チュレアール−イファティ

移動日で、午前中、安原、篠永、山ア以外はCanyonの散策に。私は植物の整理、乾燥と、洗濯と乾燥。日が強いので、洗った下着が直ぐに乾いた。連中が帰ってきてから、昼飯を食って、Turealに出発する。途中でバオバブの木の下で、ゴキブリを取ったり、ザー・バオバブの写真を撮ったりした。往きと同じくらいの地点でイナゴの大群に遭った。Toliaraで、Hotel Capricornに寄って、車を替えて、砂の上を北上して、IfatyのMoramora Hotelに行った。バンガロー風の汚い宿だった。晩飯は最悪。

1997年12月30日(火) 晴 イファティ−チュレアール−フォードーファン

この地方独特の刺のある植物の森,Spiny forestで大谷和弘とエミとマボは、6時から植物採集に(リストは別記)。
残りのメンバーは、朝食の後でspiny forestに。地元のガイドに数々の固有種を教わり、虫や蜘蛛を採ったり写真を撮ったりした。蜥蜴やカメレオンも見た。実り少なし。ガイド料をぼられる。10時頃に車で移動してTolearo空港に。飛行機は少し遅れたが、15時くらいにTolangaloに到着。植民地時代のFort Dauphinの名前で知られる。日本人も何人かいた。 Hotel Dauphinに泊まる。この町で最高級のホテルだそうだ。部屋は2 bed roomで、広くて、暑い湯も出て、昨日とは大分違う。エミと500bくらい離れた町まで買い物に行って、短パンとTシャツを買った。単価は600円くらい。6時に明日の予定を話し合って、最初の予定通り、自然保護区に寄ることにした。その交渉の過程で、日本人が登場した。エミリエンヌの知っている留学生も登場した。昨日とは違って、美味い晩飯だった。

1997年12月31日(水) 雨後晴 フォードーファン−ベレンティー

昨夜会った日本人はボランチア サザンクロス ジャパン 協会の橋詰二三夫という神奈川県大和出身の青年で、こちらで無計画に伐採して、ウチワサボテンや、シザル麻(龍舌蘭)が、勝手に蔓延っているのを、地元の本来の有用樹木のAlluaudia procera (Didiereaceae)を植林する計画を実施している。もう一人は、2週間前に赴任した沖縄宮古島の青年と、現地のスタッフのRivo Robinsonという青年。2台の車で、9時過ぎにAndohahelaに向けて出発。橋詰さんが沢山のこの地方の情報を入れてくれた。シザル麻とイセエビが主な産業。電話が12月に漸く通じたそうだ。インフレ率は年間20%農業問題が山積しているそうだ。炭焼きも最近増えてきた。サンカクヤシがそこの景観の特徴で、気候も東部と西部の中間のようだ。ウツボカヅラは最近減ったそうだ。
10:00 Andohahela標高160m保護区 事務所が休みで交渉が捗らない。10:15 近くの村に移動して交渉。元ガイドがやっと、承諾。案内を引き受ける。 10:35出11:05歩き始める。ここでは保護区なので採集は出来ない。Stachtarpeda sp. (南洋のどこにでもあるVerbenaceaeの雑草)Sapindaceae,
Charanchoe(Curasulaceae),Revia, (Tiliaceae),Vervenaceae (orange flower),Tsybda(Tsyavotra),Hibiscus sp.などの写真を撮る。leaf fly (羽衣)は白のモジャモジャの幼虫と桃色の成虫(俗称・ハト)がいた。
14:20散策終わり。手違いで荷物が来ない。15:00山崎とエミリエンヌが最初に、橋詰さん達とBerentyに向かう。途中でAlluaudia proceraの植林の指導をしている村を通って、記念撮影。A. acccendenceは材として使えないそうだ。EuphorbiaはZebuの救荒の餌にもなるそうだ。Amboasaryを通過。日曜市が立つそうだ。16時Berenty着。観光の目玉だけあって、ワオキツネザル(Maky)の出迎え。横に跳ぶシハカも出てきた。カフェで皆でビールなどを飲む。この地でMakyの観察を続けている宮本直美さんに紹介される。京都大学の修士の2年生で、マラリアに一度なったそうだ。後で植物の新聞紙を貰いに行ったら、迷子のMakyの子を肩に乗せて出てきた。

1998年1月1日(木) 晴 ベレンティー

9:15出 森に行く。ガイドはSilvestra。動植物の知識が豊富である。Sifacaは水を飲まないそうだ。
Enzyma tetracantha写真,Acasia rovume,Euphorbia laro (fish poison),Albizia Bauhinia sp (photo),Tamalindus indica (Makyが食う)。変な爺さんが毒の草を知っていると言うので、取ってきて貰ったら、南瓜の根だった。毒草を数種採集(別記)
昼は時間をかけて食う。少し休憩。午後3時よりSpiny forestへ。槍を持ったガイドが案内してくれた。色々なHibiscus美しい。Pentopetia androsaemifolia,Moringa oleiferraは見かけはバオバブに似ているがワサビノキ科の植物である。周りに刺のある植物の柵がある。夜は、昨日に比べて、客が減った。

1998年1月2日(金) 晴 ベレンティー

朝、5時に出発する4人に付き合って、4時半に飯を食う。それから、少し休んで、9時から植物採集に。今日は目的の植物が決まっていたので、しかも、メンバーが少なかったので、効率が良かった。Physena sessilifolia (Foucouritiaceae)を多量に採集。 妙な作用があるらしい。複葉の葉が甘い植物採集。京都大学の宮本直美さんの宿舎を訪問して立ち話。23匹のMakyの群れの観察で、6匹のメスがいて、4頭が出産したそうだ。10月にマラリアになった時は、メフロキンで治療をしたそうだ。
Talyという酒を造る植物を高い木に大谷和弘が登って取る。昼はBeerと美味い飯。行きにモーリシャスで会った日本人のグループが来た。3時まで休み。
午後は南側の森をなんとなく歩く。ガイドのSilvestraは中々勉強家で、博識で、誠実である。気根の沢山生えているBanyonインドボダイジュや、オウチョウやサギのコロニーや、蝙蝠のぶら下がっている木や、飼育されているMadagascar radiated tortoiseや、ワニなどを見た。日本人のワサさん(湯浅さん?)というガイドがこの島に詳しいという話しをしたが、進化研究所の湯浅さんのことではないか?もう1日あれば、ここから12kmのところにAnjapoloといういい森があるそうだ。19時30分から、夜行性の動物を見る会に参加して、車で10分くらい走った有刺森にいって、ガイドの先導で、この森に住むすべてのlemurと、カメレオンを観察することが出来た。lepilemurとmouse lemurである。ガイドの目のよさには感嘆した。

1998年1月3日(土) 曇り後雨のち止む ベレンティー−フォードーファン

朝、6時に起きて朝食後、6:45車でFort Dauphinに向かった。7:55丁度Andohahelaを過ぎた頃から雨が降り出し、かなりの大雨になった。9:15着。Hotel dauphinの人が毒草を取っておいて呉れた。赤い実の木で、Cnestis polyphylla (Connaraceae) だそうだ。Miranoma Hotelに移る。11:35弁当を持って出て、Locaroに向かう。雨が止んだ。途中でIpomoea spの写真を撮った。しかし、不思議なことに使うべき舟の運転手がいない。仕方が無いから橋詰さんの家に押しかけて、紅茶を煎れてもらって、持参のサンドイッチを食べた。ボランチア サザンクロス ジャパン協会の活動についての写真と説明を聞いた。遠い地で頑張っている日本人の若者を頼もしく見る。2時過ぎにホテルに戻って、休息と植物と資料の整理。晩飯はこの町の最高のレストランでset menuを食べたが、やはり、美味しかった。終わって、植物の整理とリストの点検。

1998年1月4日(日) 晴  フォードーファン−アンタナナリブ

夜も降り続いていた雨は、朝に止んで青空。7:15 Lokaroに向けて出発。Strychnos spや
Psidium spがある。Filao casuriana (Casurinaceae),Tiphonodrum lindleyanumの沢山生えている蛇行している水路をヤマハのエンジンを積んだ船で飛ばす。そのうちに、マングローブになる。途中に鰐がいた。上陸して、貧しそうな部落を通過して浜辺に行く。原住民が魚を捕っている。モクマオウ多い。昨日貰った赤い実のついた有毒植物と同属のCnestis sp. を採集。14:35 Fort DauphynからTureal経由で首都のTanaへ飛ぶ。流石、大都会だ。Mavoさんを家まで送って帰る。彼女に似た娘さんが出てきた。ホテルで、マルタ先生と、今後の打ち合わせ。詳細な採集品の書類を要求されている。

1998年1月5日(月) 曇時々雨 アンタナナリブ

終日レンタカーで動き回って、忙しい一日で、しかも、金ばかり出て行き、植物輸出許可書の取れない最悪の一日であった。まず、朝8時前にマルタに昨日作成した採集品のリストを渡して、旅行社の車で支払いに行き、帰って、近くの店に土産物を買いに行って、大谷と交代して、教室に買った。昼に、近くのバタフライ公園に蛙を買いに行った3人が坊主で帰ってきて、昼飯。安原さんは、風邪気味で食わない。2時にマルタが迎えに来て、輸出許可が取れなかった旨を聞く。彼女の研究所に行って、金の話しをする。次から次へと要求が出てくるので、呆れるばかりだ。
3時半から、チンバザサの研究所に行って、Alber先生とMavoさんに会う。その後、日本大使館に行って、挨拶をして、帰って、マルタ家におよばれをしたが、食い物が少なくて、話しが長かった。判子の押してない証明書のコピー。深夜にジョン・デイリー教授がアメリカに帰った。

1998年1月6日(火) 曇後晴 アンタナナリブ−モーリシャス

朝、4時に起きて4時半の出発を待つ。他のフランス人のグループが来て先に車に乗ってしまって、一悶着。空港には5時半に着く。日本大使館のテオさんが出国手続きを助けてくれる。マルタも来て、出国を見守る。空港の待合室で、行きに一緒だった静岡大学の尾高さんと、もう一人の若い日本女性にあう。後者はフランス北部でデザインの勉強をしている人で、マダガスカルを90日旅行して、これから、マレーシアを旅する予定の人で、マダガスカルでは、ほとんど日本人に会わなかったそうだ。7:20出発9:55モーリシャス着。行きと同じで、手続きに時間が掛かった。出迎えの車で、
pearle beach hotelへ。昼頃着いたが、ホテルで円が換金出来ないので、銀行を教わって歩
いていったら、30分以上掛かった。5000円が800ルピだった。その後、ホテルで1200円のカレーライスと500円のビール。(660cc).植物園と、この国の案内書を買った。大谷は女性2人を連れて買い物に行った。浜はホテルの前とその他の場所が区切られていて、インド系の地元の人々が正月休みの最後の休日を楽しんでいる。ホテルの側は西欧人が多い。夕食は中華風Buffeで、頼んだbeerが来るのがやたらに遅い。料理の味は今一つであった。

1998年1月7日(水) 晴 モーリシャス−(空の上)

半日しか行動予定がないので、taxiを交渉して、植物園に一人で行った。ホテルに聞いたら、片道800ルピだというので、直接、運転手に交渉したら、800ルピで往復すると言ったので、直ちに了承した。10:00出発。Satiという名前の感じの良い運転手だった。10:25首都のPort Louisを通って、10:40に着いた。ガイドなしに歩いてみた。Syzygium malaccaense ,Albizia carbea (West Indes)
オオオニバスを見た。Peter Piperの銅像。彼は初代の園長で、胡椒の栽培に失敗した人だそうで、英語の有名な早口言葉の主人公である。オオバナサルスベリ(banaba) が沢山あって、写真を撮る。ゾウガメの交尾。帰りの車で、運転手にこの国の車の番号を聞いた。黒:自家用、白:タクシー、黄:レンタカー、青:官公庁、赤:仮番号だそうだ。1200出て、宿に戻る。飯を食って、1400出て1500空港着。空港で、ルピを換金したとたんに、空港税がいることを知り慌てる。丁度、尾高さんを入れて、東京組と広島組が3人ずつだったので、荷物の超過料金を払わずに済んだ。17:20離陸、

1998年1月8日 (木) 曇 −香港−広島

出発地の時間で午前1時頃に起こされて、朝飯。香港には7時すぎに着いた。エミリエンヌが町を見たいといったので行った。出たので空港税を取られた。ここから3時間ほどで、広島に着いた。植物検疫に少し時間を取られたが、無事、通過した。東京は大雪のようだ。3人は無事に帰っただろうか。安原さんの荷物が届かなかったことが後で分かった。

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