内分泌攪乱化学物質をめぐる生活と食の安全についての国際シンポジウム 1998年6月 国際連合大学本部にて講演
* Sometimes spelled as "disruptors"
はじめに
化学工業のお陰で、便利なプラスチックや、農薬、医薬品が開発され、それの代償として人間の作り出した化学物質による内分泌撹乱化学物質が問題になっているが、はたして、「天然にはそういう作用を持った物質が含まれていないだろうか?」という疑問が当然のように起こった。
既に、数多くの研究から、内分泌撹乱化学物質(環境ホルモン)はごく微量で効果を発揮する事が知られていると同時に、最近の分析技術の目覚しい進歩により、その検出限界も著しく微量化した。
勿論、目に見えない量を問題にしなければならないのだが、調べれば調べるほど、「環境ホルモン」は自然を含め、我々の周辺のどこにでもあることがわかってきた。
このような事実を正確に公表するのが科学者の立場であるが、その事実を正しく受け止め、如何に冷静に対処するかは社会と政治の問題である。
本講演では、植物の中に本来、存在する天然の「環境ホルモン」について、出来るだけ客観的事実を述べ、その対処については、マスコミを始めとする良識ある社会の判断に委ねることとしたい。
植物成分について
植物には数多くの化学成分が含まれているが、大まかにこれらを一般成分と特殊成分の二つに分けて考えると便利である。
一般成分は、食品成分表に載っているような、蛋白質、脂肪、炭水化物や、繊維素、ビタミン類、無機質(ミネラル)などのことであり、含有量の差こそあれ、どの植物にも共通に含まれる。これらは植物の生命を維持するのに必須の物質群であるため、一次代謝産物とも呼ばれる。
これに対して、特殊成分は二次代謝産物とも呼ばれ、果物やハーブの香りや味、香辛料の辛みや香り、薬草の有効成分や毒草の有毒成分などに代表される物質群であり、植物の種類によって異なり、その植物の個性を発揮する成分である。化学的には、これらの成分は、アルカロイド、テルペノイド、ステロイド、タンニン、フラボノイド、キノン、リグナンなどに括ることができる。
植物からの環境ホルモンの暴露に対する社会の関心は「食品としての植物がどれだけ恐ろしいか」であり、我々が口にする寸前までにその植物が経たあらゆる環境汚染可能性を追求すべきかも知れないが、外因性物質については、他の講演により、言及されているため、ここでは純粋な立場で植物固有の成分のみについて述べる。
植物の属性と特殊成分
動物と比べて、植物は声を出さないし、動けないことが属性の第一に挙げられ、そのため、「植物人間」などという、植物側から見れば不本意な言葉が使われている。しかし、逆に、この動けない性質が、植物を特殊成分の宝庫へと導いている。
例えば、子孫を残す為に受粉に必要な蜂やその他の昆虫を呼ぶ為に、香りのよい、美しい色素を持った花を咲かせる。また、被子植物は、裸子植物からの進化の過程で、タンニンや、アルカロイドを生産して、大食漢の大型草食恐竜類に食い尽くされるのを防いで、今日の繁栄を迎えた。
また、秋に日本中の荒れ地を黄金色に染める外来のセイタカアワダチソウや、その仲間は、アレロパシーと呼ばれる現象により、他の植物の生育を妨げる特殊成分を根から出して、回りの植物を枯らして、自分のテリトリーを広げることが出来る。
もっと、賢い植物は、植物病原菌に感染すると、普段は作らない特殊成分をその時だけ生産して、その菌をやっつけるという能力を持つ。有事に備えて自作の抗生物質を用意しているようなもので、このような物質は総称で、ファイトアレキシンと呼ばれる。
現在、話題になっているマメ科のイソフラボン系統の化合物はファイトアレキシン作用を持つものが多く、本来、植物にとって自分を守る重要な役割を果たしている。
食品としての植物
食品としては、味と香りは特殊成分が責任を持つが、栄養は一般成分のお陰である。言うまでもなく、植物は動物には真似の出来ない光合成をするため、空気中の二酸化炭素を唯一の炭素源として、ブドウ糖から始まって、あらゆる植物成分を自前で作り出すことが出来る。
全ての動物は、植物、あるいは植物を食べた動物を食べなければ生きていけないのである。人間は、それぞれの地方で太古より、食品として色々な植物を利用してきた。現在まで子孫が繁栄しているのは、その食生活が間違っていなかった証拠である。
植物性エストロゲン
ところが、植物成分の中にも内分泌撹乱作用を持つものがあることが分かってきた。これらはPhytoestrogenと総称され、いずれも特殊成分であり、化学的にはイソフラボン類と、リグナン類に属する。
代表的な植物性エストロゲンの化学構造とその植物界における分布を図1に示すが、いずれも天然の性ホルモンと共通性を持つ構造をしている。特に、イソフラボン類はマメ科植物、中でも、エンドウ亜科に偏在しており、我々が口にする食品でいえば、大豆および、その製品に多く含まれる。
また、リグナン類は、色々な植物に入っているが、特に、亜麻仁油をとるアマに高い含量で含まれている。また、リグナンは本来、植物にしか存在しない化合物だが、それが、ヒトに摂取されると、腸内細菌によって、今度は植物には見られない化合物、エンテロジオール、エンテロラクトンなどに代謝されることが知られている。(図2)
植物性エストロゲンの作用
植物エストロゲンの生理活性はそれぞれ、試験管内(in vitro)動物実験 (in vivo) 及び、人体実験、疫学的考察などにより、広く研究されているが、次のような理由から、それが害になるか、益になるかは議論の別れるところである。
これらは、確かに天然の女性ホルモンと似たような作用(エストロゲン作用)を示すのではあるが、一般的に構造の似通った化合物は、効果を発揮する受容体に結合した場合、元のホルモンと同じ作用をする(アゴニスト)場合と、結合はするけれども、作用を発揮せず、本物が結合するのを邪魔すること(アンタゴニスト)により、本来の作用を弱めたり、また、全く逆の作用をする場合とがある。これらのどちらの作用が期待できるかは化学構造式をみただけでは、中々予想が出来ない。
大豆をどう考えるか?
最近人間が作り出した環境ホルモンとは違って、(食用)植物成分は太古の時代から人類の祖先によって、消費され、食生活の一部として「空気のような」存在になっており、自然そのものであるとも言える。
特定の物質の何らかの「生理活性作用」を問題にする時に、「標準食」と比べるわけだから、標準食に含まれるものは、比較のしようがないとも言える。
逆に、世界的に現在、イソフラボンの多い大豆を常食にしている日本を含む東南アジアの国々には、肉食の多い欧米と比較して乳癌の罹患率が有意にすくないという疫学的調査結果が着目されている。
大豆食品中のイソフラボンの含量を表1に示すが、例えば100グラムの豆腐を食べると1日に合計24
mgのイソフラボンをとることになり、別の研究によれば、1日に45 mgのイソフラボンは健康女性のホルモンバランスに影響を与えて、月経周期を変える作用が報告されている。
先にも述べたように植物成分は、一般成分と特殊成分の著しい混合物である。一つの成分を取り上げて、その計算値だけで結果を外挿することは他の成分の貢献を無視することでもあり、総合的判断に欠ける事になる。
ともあれ、大豆を始め、マメ科のエンドウ亜科には、内分泌撹乱物質が他の食品より多く含まれていることは事実であるから、このことに限らず、食品はバランスよく摂取することが肝要であるという常識的結論が導き出せそうである。
但し、胎児、新生児に対する影響は敏感で、ベビーフードで、大豆のみからなるものを、排他的に食べさせるのは避けた方がよいという警告には耳を傾けたほうがよいかもしれない。