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1.フィリピンとの共同研究

 フィリピンの学生は、小学生から自分の国の言葉の他に英語を学ぶため、英語に堪能で、大学を出ると、優秀な人はすぐに、英米や、オーストラリアに留学してしまう。このような、いわゆる「頭脳流出」を防ぎ、優秀な学生を自分の国で学位を修得しさせるために、3大学で連合大学院という制度を制定した。出来たばかりのフィリピンの化学系の1回生 (全部で6人で女性ばかり) のために、天然物化学の講義の担当を頼まれたのが、1984年の1月であった。当時は、革命前で、必ずしも政情が安定しておらず、やや、不安もあったが、未知の国を訪れることは、新しい研究材料にめぐり会える機会も増えると思い、引き受けてしまった。講義は思ったより大変で、英語も、化学もよく出来る生徒にしばしば教えられることの多い経験であった。当時のホストはアテネオ大学のサムソン教授(神父)であった。この時以来、親交を深め、家族ぐるみの交際をして、共同研究を続けている二人の科学者ダイリット博士パドリーナ教授は、フィリピンの伝統的な生薬について、色々教えてくれたり、材料の収集に協力してくれたりして、我々の研究は進展していった。因みに、パドリーナ博士は、未だ40代なのに、大学教授から、昇進して、現在はフィリピンの科学技術庁長官である。印象的だったのは、広大なフィリピン大学ロス・バニョス校のキャンパスで、何と、様々な学部の「植物園」が10近くもあり、敷地の中に密林もある。将に天然資源研究の原点を見る思いだった。

2.フィリピンの国策としての薬用植物への取り組み

長年の貿易赤字の悩むフィリピンでは、国策として、簡単な病気は自前で直そうという政府の方針があった。いわゆる、プライマリー・ケアーにおいては、わざわざ、高い抗生物質などを使わずに、自国に繁茂する薬草で間に合わそうとするものである。フィリピンでは地方に行くと、ヘルボラリオという草医が、家に伝わる伝承薬や、秘密の薬草を使って患者を治療している。また、首都マニラの中心近くにあるキアポ教会の前には有名な門前町が出来るが、そこでも沢山の生薬を売っている。それらの治療は一部には卓越したものもあるが、中にはいい加減なものも含まれている。政府は、これらの民間情報を整理して、効かない物を排除し、科学的に実証出来る物を普及させて、正しい指導による民間薬の服用を推奨している。そんなプロジェクトに参加していた先の2名の学者から沢山の情報が得られた。

3.留学生による共同研究推進

フィリピンに行ってUPを知らないと教養を疑われる。最高学府のUniversity of Philippineのことである。最初の訪問で、生薬学のカントリア教授の推薦で引き受けた留学生がAgnes Rimando (当時)現在在米で、ムラサキ科(Boraginaceae)植物のEhretia microphyllaから有効成分を単離、構造決定し、私のフィリピン植物研究の最初の論文を書いた。この植物からはその後、Prenylbenzoquinone のdimerであるMicrophyllone やその同属体が抗アレルギー活性物質として単離・構造決定された。(⇒フィリピンの民間薬

その後、日本学術振興会の国際共同研究計画に2度採用され、都合、90日間にわたりフィリピンを訪問し、特別講義(1989年)や、学会(1999年)に出席したが、主として、抗アレルギー作用、血糖値を下げる生薬につい て共同研究を推進させた。その間に、Lourdes SimpolTeresita Martinが相次いで当研究室に文部省国費留学生として来日して、それぞれ、1993年、1997年に学位を修得した。前者は主としてムラサキ科植物Ehretia philippinensis からの抗アレルギー成分のローズマリー酸と青酸配糖体の構造決定、後者は主にツヅラフジ科(Menispermaceae)のTinospora rumphiiからのジテルペンの単離と構造決定であった。

4.降血糖作用物質の探索

 糖尿病に取り組んでいる研究者は多いが、血糖値を下げる効果のある物質を天然から探るには、効くか効かないか分からないものを大勢の糖尿病患者に呑ませて調べるわけにはいかないから、どうしても、血糖値の上がった(人工的に糖尿病を起こした)実験動物を使って調べる必要がある。しかし、沢山の薬用植物を、色々な量を変えて調べるには、実験誤差や、統計処理を考えて、膨大な数の実験動物を犠牲にする必要があり、倫理的にも、経済的にも問題がある。そこで、我々は、我々の血糖値を正常に保つ役割をはたしているインスリンと同じように、細胞の表面にあるぶどう糖輸送担体(グルコーストランスポーター)に働いて、細胞の中にぶどう糖を入りやすくさせる作用を色々な薬用植物について測ってみた。この方法は、それほど沢山の動物を使わないでも基礎的なデータが得られる特長がある。

5.バナバとの出会い

先に述べた方法を使って幾つかの薬用植物を調べてみた。ダイリット博士と一緒に、キアポ教会の前の生薬市場で、色々な生薬を買って来て、念のため、植物学者に鑑定してもらって、研究材料にした。中には糖尿病には全然使われない生薬も含まれている。日本のものも少し、材料に加え、全部で23種類の生薬を調べたが、そのうちの12種類には効果は見られなかったが、5種類はぶどう糖の取り込みを抑える作用があり、6種類には明らかにぶどう糖の取り込みを促進するものが見つかった。その促進作用を持つ生薬中に、歴史的に糖尿病の使われてきたバナバが含まれていた。
BANABAは、ミソハギ科の植物「オオバナサルスペリ」で、学名をLagerstroemia speciosaといい、美しいピンクの花が咲き、フィリピンでは、街路樹などにも用いられる。いま迄に、グルコーストランスポーターを促進する物質はインスリン以外に知られていなかったため、次にバナバの中の何が効くのかを追究し、その活性の本体を捕まえることにした。

6.活性物質のコロソリン酸

バナバの成分の抽出は、水よりも有機化合物をよく溶かす性質のあるメタノールを使って行った。メタノールに溶け出した成分を濃縮して、今度は水に溶ける部分と他の溶媒に溶ける部分に分け、あとはクロマトグラフィーという分離手段で、段々に細かく分けていった。その色々な部分の活性を測り、一番活性の強かった部分から、純粋な化合物を2種類取り出すことに成功した。それらの化学構造を、核磁気共鳴装置(NMR)や、質量分析装置などを使って解明すると、それらは、炭素30個からなるコロソリン酸とマスリン酸というトリテルペン類に属する化合物であることが判明した。そして、それぞれの化合物の活性を測ると、コロソリン酸の方に1m M当たり27%のぶどう糖取り込み促進活性が認められた。我々の仕事はここまでだが、文献をしらべると、イタリアのトマシ博士のグループが、最近、他の植物から得たコロソリン酸に、ラットの血糖値を下げる作用を報告していた。そこで、この2つの仕事を合わせて、バナバの中には、血糖降下作用物質が含まれているという結論が得られた。
我々は、これで研究が終わったとは思っていない。コロソリン酸は、バナバの中の活性のほんの一部を代表しているに過ぎない。この他にも、未だ、活性物質があるだろうし、活性の機構も理論的に解明しなければならない。我々の研究はまだ、始まったばかりだと認識して、研究を進めているところである。

7.最近の成果

我々と同じ研究科の櫨木修教授らと共同で、活性物質を追い詰めたところ、エラジタンニン類のラジェルストロエミン他2種の化合物に強いグルコーストランスポーター増強活性を見出した。この結果は1年以上も前に投稿したが、ようやく、今年になって公表された。(Planta Medica, 2002; 68: 171-173)